仮想温泉ぷろめてうす

 

2010

ヌルい方。

NHKの人形劇『新八犬伝』を子供の私は見ていたはずだが、朧な記憶しかない。ただ何やら差し迫った気配と人形の所作の端々と坂本九の声を覚えているだけだ。先日、ものの拍子でテーマソングを聴いて、これは只事ではないと思った。

大編成ジャズの饒舌に弦一本で応える三味線の底力。作曲者の
藤井凡大という人は現代邦楽方面のなんか凄い人という以外全くわからないのだが、こんなに達者に商業音楽を書けるのに経歴にはそっち方面の仕事が全く書かれていないのが激しく謎である。「明日はどんな人に会うだろう」という夕暮れの希望は、カメラが引けば実は因果に絡め取られ、各々のネズミ車を回すのに疲れ果てた個人たちの妄想やも知れず、またよく笑いのネタにされる「いざとなったら玉を出せ」というくだりは、直後にプリペアドピアノ(?)が「きんきん」と囃し言葉を入れるあたり、絶対ワザとやってんだと思うねアタシは。晩年、小説の筆を折った山田風太郎が「金玉みたいなものが枯れちまったからもう書けない」みたいなことをどこかのインタビューで言っていたけれども、玉とはやはりそういうものなのだろう。エンディングテーマでも今の絶望と未来の希望は対比されて、けっきょく血の滲む絶望八割な感じが素敵である。

なんせ原作と違って悪女船虫も「さもしい左母二郎」も平然と生き残る世界なのだ。坂本九はアイドル出身とかいうけれども私のよく知っている世代のアイドルとはどうやらアイドルの意味が違うプロの歌い手である。全員芸大の声楽科出身というロイヤルナイツも、「巧言令色すくなし仁
」だの「矢でもテッポでも来い来い来い来い」だのデタラメを歌ってるようで(バックコーラスがここまで勝手な詞をを歌っている曲は珍しいと思う)、そのデタラメを冷たいほど整然としたアンサンブルで歌える凄腕の騎士団である。NHK人形劇といえば、いつぞや取り上げた細野晴臣作曲の三国志は、やっぱりいい曲だと思うけれど、新八犬伝のように鬼気せまるものはなくて、こんな名曲にヘボヘボなネーちゃんの歌声を乗っけて堂々と放送してしまうあたり、つくづく時代がマーケティング主導というか、ヌルくなってたんだなあと思う。

そして私はどっちかというとそのヌルい方の気配にどっぷり浸って育ったような気がするのだ、困ったことに。
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インド出身の映画監督

…といっても最近とかくアレなシャマランさんではなく、主にコマーシャル方面の仕事をしていてたまに映画も撮る Tarsem Singh という人なのだが、面白いことを言っているので訳してみる。原文はここ。
http://www.imdb.com/name/nm0802248/bio

「ヨーロッパの映画業界でハリウッドとまともに張り合うのは無茶だ。そもそも予算が違う。でもヒンディー語圏の映画みたいに、ぜんぜん方向性の違うものは生き残れるんだ。例えば欧米ではオペラと映画は別扱いだ。四十四歳の役者は、たとえ同じキャラクターでも十二や十三歳の場面は子役に任せるけど、ヒンディー映画だと一人で演じてしまう。たとえ役者がデブで見苦しくても、観客は「これは美しいキャラクターなんだ」と無理やり納得して見てくれる。ヨーロッパでもオペラならそれで通るけれど、それがなぜか映画では許されない。ヒンディー映画では、すごく深刻なシーンの最中に、いきなり犬の回想シーンが入って、それも別にギャグじゃなくて大真面目に話が続いたりする。欧米の映画ではそれは無理だ。」
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