仮想温泉ぷろめてうす

 

2013

新釈・柳生十兵衛

どうも私が教えていて「楽しい」とか「ちゃんと伝わっている」とか思う学生は社会の構成員としてどこか標準からハズれていたり脆かったりするようで、ああ今学期は面白い子がいるなあと思っていると一ヶ月ほどで授業に出てこなくなり、中間試験の時期になると医者の診断書が付いた履修取りやめの書類がヒラリと舞い込む、というパターンを何度か見てきた。さすがに「私の授業が彼らの精神および肉体を破壊した」とか「私には面白くても彼らには体調を崩すほどつまらなかった」とは思いたくないので、どっか弱い子だったのかなあ、私もやはりどっか壊れてるのかなあ、その割には丈夫だなあ…とか思っているうちに健全かもしれないが読んでもあんまり面白くない圧倒的多数の学生やレポートの濁流に押し流されるように彼らの記憶も流れ去っていくのだった。
もう何年も前に最初の一学期だけ日本語を教えたT君も御多分に洩れず次の学期の途中から姿を消した。そのまま三年ぐらい忘れていたら、ある日別人のようなモッサリした姿で大学に現れた。あんまり久しぶりなのでどうしたのかと聞けば、鬱病と食い過ぎで家に引っ込んでいたのだが今日はたまたま卒業延期願いか何かの書類を出しに久しぶりに学校に来たのだという。休まないで毎日授業をするだけが取り柄の私としては、こういうとき何を言えばいいのであろうか。たまには外で運動するといいよみたいなことを口ごもってはみたが、もともと彼は武道から日本語に興味を持った人なので、私が思いつく程度のことはとっくにやっている。ところで私には人に報告したい人生とか近況とかいうもの――最近で言うところのフェイスブック的なあれやこれや――があまりなくて、他人からその種の情報を引き出すのも億劫なので、人に会えばその時々に興味があることを喋るばかりだ。その日私はたまたま柳生十兵衛について熱く学問的に調査していたところだったので(ウィキペディアで)、「江戸時代にこういう人がいて将軍の指南をするほどの剣術家なのに十年以上記録の空白があって、その間実は諸国を回って修行をしていたとか忍者の里で真田広之とジャレていたとか宇宙的規模の巨大な脅威と戦っていたとかフィクション世界で大人気なんだよ」みたいな話をしたら、彼は以前通りの神妙な顔で聞いた挙句に、「…でもホントは鬱病でデブってただけかもしれませんよ、ハハハ」と笑った。それはなかなか斬新な解釈だ、と思ったけれども、すっかりしょぼくれた、というかデブくれた彼を前にして気楽に笑うことはできかねた。
これももう何年も前のことで、私はその後失業して半年日本で腐ってから大陸の反対側でなんとか他の学校に潜り込んで、やっぱり「相変わらず」としか形容のしようがない泥縄な日々を送っている。彼はどうしているだろうか。
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