仮想温泉ぷろめてうす

 

2015

「とにかく駄目だったのさ。」

このあいだニューヨーク・タイムズに載った、Tim Kreider という人の書いた文章がとても良かったので、久しぶりにナイフで勝負しようぜえ…いや違った、ちょろっと何行か訳してみようと思った。あまり少しだと味が分からないので、例によってつい長くなる。これでも原文の六分の一ぐらいだ。ボルティモアには行ったこともないが、これは三木卓の『はるかな町』とか(しかし、何でこれがいきなりキンドルにあるんだ!いや再会して感動したし――90年代に総武沿線のショボい古本屋で一冊だけ見つけた79年版の文庫本は既に十分煤けていた――こういう古本屋でも手に入らないようなものこそ電子化すべきだと思うけれども。)中島らもの『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』とかそっち系統の、ある種のシュミの人には必ず響く類の文章だと思うのだ。だから読みなはれ。

*******************
H.L.メンケンはかつて「ボルティモアはその珍味佳肴、女性の美、閑静な街並みで東海岸にあまねく知られ…」と書いたが、今となっては悪い冗談としか思えない。ソドムやヒロシマと同様、ボルティモアは破壊された都市として最も良く知られている。
(中略)
青年時代の私が醉ってふらふら歩いていたボルティモアは――そういえば一度だけ警官に捕まった。「私は神だーッ!」とかやっていたのがまずかったのだろうか――いわば「白ボルティモア」で、市民の大半が住んでいるが部外者は踏み込めない本当の街の上に、危なっかしく引っかかった蜘蛛の巣のようなネットワークだった。本当のボルティモアは、そのすぐ裏通りに広がっていた。飢え、選挙権を奪われ、猛々しく武装し、政治家には見限られ、警官には虐待され、インターネットではケダモノ扱いされるような、物騒な方のボルティモアである。
(中略)
私が懐かしんでいるのは、若者の酔眼に映った幻の街なのかもしれない。ヘミングウェイはパリを、そこで青春を過ごした者に生涯つきまとう「移動する祝宴」と呼んだが、それに倣って言えばボルティモアは永遠の宿酔だ。一度そこに住んだ者は、決して完全に醒めることがない。
だが、我々が飲んでばかりいたのは、もっと大きな「都市の精神」の表れの一つに過ぎなかった。ボルティモアはニューヨークとワシントンのちょうど中間にあるせいで、野心のある人間は全部吸い出されていく。金と名声の欲しい者は北へ、権力を求める者は南へ。おかげで欲のない怠惰な連中は、安いアパートに住み、安いビールを飲んで、上昇志向やエゴの臭気に悩まされされずに、平穏な生活を送ることができる。それでもボルティモアに残る野心家もいないとは言えないが、あの街ではそういうタイプはPTAの集まりに出てきたマキャベリストさながら、なんだか間抜けに見える。やはり本物の野心家はこんな街からは早々に出て行くのだ。
しかし野心と創造性は別のものだ。ボルティモアの友人たちは、私がニューヨークで会ったプロの表現者よりも、ある意味で創造的だ。二週間に一度、私たちは日曜日にパブに集まって、「飲めりゃあいいのさ」などと題されたオリジナル曲を演奏した。最近1812年の米英戦争についてのロック・オペラを上演した友人たちによれば、出演者はみんな手弁当で、衣装も舞台装置も自費で作ってしまったそうだ。
私のボルティモア時代の知り合いの間では、とにかく楽しく過ごすのが人生の目的、という連中が大半であり、それは人に迷惑がかからない、立派な生き方の一つだと私は思う。アル中から回復中の患者は昔の飲み仲間を振り返って「中毒だけで繋がった行きずりの仲間」と呼んだりするけれども、ボルティモアでの友達付き合いはその逆だったと思う。つまり、飲むこと自体も楽しかったけれど、それは八時間ばかり友達とダラダラ一緒に過ごすための口実でもあった。誰も口には出さなかったが、我々はお互いが好きだったのだ。
ボルティモアは、ある種の人間の吹き溜まりでもある。何年も前にバーで見かけた人物が、いまだに同じ椅子に座っているのを見たりする。ある友人は、市の新しいスローガンを思いついた。「ボルティモア:あなたの元カレが今も住んでいる街」
ボルティモアを出てフロリダで新しい生活を始めるんだ、とわざわざ宣言した二人組の男がいた。彼らは借家を解約し、家具を売り、何度かお別れパーティーをしてから去っていった。しかしそれから48時間もたたないうちに、二人はいつものアイリッシュ・バーに戻って飲んでいた。車でフロリダまで行って、そのままUターンして帰って来ても、もう少し時間がかかるだろう。いったい何があったのかと尋ねても、彼らは言葉を濁した。「とにかく駄目だったのさ。」きっと二人は脱出速度に達することができず、ボルティモアの重力に引き戻されてしまったに違いない。
以前よく私は言った。「私はボルティモアでは有名なんです。」たかだか数百人の、その筋の人々の間ではちょっとした有名人だったのだ。ミニコミ誌には私の作品がいつも載っていたし、バーで働いていると、私を知らなくても私の絵を知っている客がよくいた。なんとグルーピーまでいたのだ。(いやその、たった一人なのだが、それでもグルーピーはグルーピーだ。)それよりもっと有名になりたいんだなどと口走るためには、自分がゲイだと告白するような勇気が必要だった。
野心は自分の中の醜い部分だと私は思ってきた。ワシントンやニューヨークの住人がかかる病気のようなものだとも。しかし、性的指向を自分で選べないように、みっともないからと言って野心をいつまでも隠しておけるものではないし、それでも押さえ込めば不幸な人生になる。さらに言えば、素顔を隠しているゲイが大概そうであるように、実は周りの人々にはバレバレだったのではないかと思う。私はガムシャラに絵を描いていたし、作品が世に認められないと、ひどく不機嫌になった。やがて私はニューヨークに移って、軽佻浮薄な本性を現した。
ニューヨークで知り合う人たちはほとんど皆、四六時中仕事か、自分を売り込む努力をしていないと不安になったり罪悪感を覚えたりするようだった。楽しみのための時間は、個展のオープニングやコンサートや朗読会の邪魔にならないように、予定表の隙間に配置されるのだ。友達と過ごすためには、スケジュールをやりくりしてなんとか隙間を見つけなくてはならない。ボルティモアでは、それこそが生きる目的だというのに。
ボルティモアに比べると、ニューヨークは都市を模倣したテーマパークのようなものである。それは「狂ったフリ」と本物の狂気、もしくは気取った偏屈者とグロテスクな異常者の違いだ。映画を通してボルティモアを語り続けるジョン・ウォーターズは、私よりずっと上手くその違いを要約する。「ニューヨークは狂人を装った健常者の街、ボルティモアは自覚のない狂人の街。」友人のケビンと歩いているとき、長い髪がくっつき合って一本の汚い束になってしまった女とすれちがったことがある。まるでブロンズ像になったゲロだ。ケビンと私は言葉を失って、何も気の利いたことが言えなかった。ボルティモアに皮肉は通用しない。
Comments
Basic Blue theme by ThemeFlood