純粋めし宣言!

 

 「メシは自分で作ります」というと、「自炊ですか」とよく聞き返される。「作りますっ」などとはっきり言明する場面はまずないにせよ、私がアパートでメシを作っていることを嗅ぎ付けただけで、同じ質問は投げ掛けられる。「い〜え!」と力を込めて否定したくなるのを、ときに私は我慢している。「自炊」などした覚えはない。つまり、私は自分のメシを自分で作るという単純な事実のみを述べたのであって、日本社会で「自炊」という言葉に言外に含まれる意味まで引き受けるつもりはないのである。

 例えば一人暮らしの女が自分で料理をしていても、私の知るかぎり世間は「自炊」という言葉をあまり使いたがらない。「自炊」に含まれる言外の意味は、たとえば「手料理」「家庭料理」「愛妻弁当」(ちょっとジャンルが違うが)…といった語彙と引き比べてみた場合、特にはっきりしてくる。非常に簡単に言って、「自炊」は「まずそう」で「わびしげ」なのである。つまり、「自炊」という言葉には、「何らかの事情によって不本意にも一人または男所帯で住んでいる貧乏な男が本来男には向かない台所仕事を仕方なく自分でやった結果不味いものを我慢して食っている(多くの場合青春期の過渡的な)状態」という偏見に満ちた思想がまとわり付いている。少なくとも私にとって独り暮らしは楽しいし、「不味いものを我慢」するぐらいなら自分で料理なんかしないのであって、「(あなたがやっているのは、いわゆる世間でいうところの)自炊ですか」と勝手な分類と確認(世間というやつは、こういう乱暴な分類をして安心するのが大好きである。)をされるのは迷惑なのである。そもそも、いい大人が人間関係や愛情をやたら酒やメシと結び付けたがるのは口唇期の子供みたいで気持ちが悪い。今の日本で、ある種のしゃぶしゃぶ屋などが繁盛するのは、その段階を抜けられない男が大挙して愛情に恵まれないまま「大人」になってゆくせいではなかろうか?(「しゃぶしゃぶ」の語感は明らかに幼児語である。)

 メシを食うのはトイレに行くのと同レベルの生理的必然だ。大人が一人で用を足しても誰も関心をもたないが、それがメシのことになった途端に、人は突然口うるさくなる。私がこんなことをクドクドと書いていること自体、そのレベルにつかまっている証拠のような気ががするので、個人的な結論を述べて終わりにしよう。「私はメシを食うのも作るのも好きで、そのへんのことを自分でコントロール出来るのは非常に贅沢なことだと思います。ただ他人がどんな不思議な姿勢や形態でメシを食おうと、基本的にどうこう言うつもりはありませんし、自分の食事について他人にどうこう言われたくもないのです。」

 

喰らう