【不更新メモ】

そしてまた年が明けるのだ→

11/29

 もう十年以上前に日本の大学で所属していた合唱団の知り合いの個人サイトを、たまたま昨日見つけた。内輪の宴会の写真を見たら、写っている三組の夫婦全員がそのサークルで私の一学年下にいた人々で (個々の組み合わせは若干意外だったりするものの)、しかもそれぞれが幼児を抱いている。思えば昔からあそこは「団内で知り合って結婚した夫婦の娘」とかが頻繁に入団してくる恐ろしい場所であった。このぶんでは遠からず三世団員も現れるであろう。私は荻久保和明や三善晃や最近野暮天どもに電波扱いされている宗左近先生 (*) の作品を熱くシャウトしたくて入団したのだが、どうもあそこは歌うだけではなくて人生の大勝負をブチかます場所でもあったらしい。要するに私は常に甘いのであるよ覚悟と状況認識が。

(*) 彼の作品に電波的要素があることは否定しないが、あれは単に頭がおかしいだけの人間には決して出せないグレイトな電波である。その違いが分からない人々は多分社会的には幸福なのだから日経新聞でも読んでおればよろしい。そもそも電波が飛ばないような詩に価値など無い。

(いや都市伝説の話もちゃんと書いてますから…)

11/26

最近どうも頭の中ででかいものが蠢いてはいるのだけれどそいつを一気に掘り出す気力がないので、とりあえずお題だけ並べておいてぼちぼち書いていこうと思います。きっちり完成品を作るより緩やかに繋がった物事を環のように並べていきたいような気分なので電波電波

FOAFtale News On-Line

フォークロアの期末論文用の資料を探しているときに見つけた、なんか都市伝説の研究をしている人たちのニュースレター。アメリカのフォークロア研究(folklore と言っても、民話や伝説だけを扱うわけではなくて、日本で言うと民俗学に近いと思う)には幾つかの流派があって、Journal of American Folklore (JAF) という19世紀から続いている一番古い雑誌は、今でもどちらかと言えばカーニバルだの祝祭だのマルディグラだのそういう正統派の論文を中心に載せているようだ。で、そういう古典的な世界に飽き足りない人たちが作っているのが、最初はカリフォルニアで発足して最近ユタ州に本拠が移った Western Folklore という雑誌。ここの人たちは(おそらくJAFあたりでは研究に値せぬとされているところの)都市伝説が好きで、なにしろ1942年の創刊号からして「消えるヒッチハイカー」の大研究が載っている。日本でも翻訳されて結構売れたはずの Jan Harold Brunvand という先生は多分ここ関係の人である。で、この FOAFtale News On-Line (あ、これはイギリスが発信地か…)はさらにその次の世代というか、ネットを積極的に利用して研究を進めようという人たちの集まりらしい。私は専門家でもないし、もともとそういう気色の悪い噂話とかが好きな人間なので、「アフリカにおける膣痙攣呪術」だの「バネ仕込みの靴で追いかけてくる変態魔人(ドクター中松かいっ!)」だのという世界はウヒョウヒョと楽しい。全部ネット上で公開してくれるのも人文系の学術誌としては太っ腹である。FOAFtale というのは都市伝説研究者の用語で、「これは友達の友達 (Friend Of A Friend) から聞いた話なんだけどさ…」という典型的な都市伝説の語り出しに由来するそうだ。いずれ許可を取ってちゃんと訳してみたい文章が沢山載っているのだが、とりあえず昨日そこで読んだ短い話を一つ。

2000年三月にSnopes Urban Legends mailing list に、テネシー州ナシュビルの友人から聞いた話として投稿された話:

ナシュビルのダウンタウンに、とても流行っている中華料理屋があった。店の窓には、漢字の書かれた大きな飾りバナーが掲げられていた。中国系の新人警官がレストランの周辺に配属された。パトカーで巡回していた彼は、レストランを見て、バナーを読むとすぐにレストランを閉鎖させた。彼の報告によれば、バナーにはこう書かれていた。「木曜には白人 (round eyes) が犬を食うのを見に来てね」

うわあ悪趣味&偏見丸出し。まあ南部だからなあ…仮に中国系の警官がいたとしても、概して二世以降の中国系アメリカ人というのは中国語の会話はできても読み書きはできない人が多いし、犬肉が好きなら人に食わせる代わりに自分で食うだろうて。白人の自意識過剰である。つまり最初っから人種偏見に基づいた作り話なわけだが、どうも中国系のファーストフード店はコカコーラやマクドナルドと並んで怪しい噂をたてられやすいようだ。そういえば前にいた五大湖近辺の大学でも学内に入っていたファーストフード中華でゴキブリが見つかったとかで、学内新聞に記事が出たあとはしばらく客が減っていた。台所の無い寮に住んでいた頃、私はあの店の存在でずいぶん救われた人間なので、応援のつもりで毎日意地になってそこの飯を食ったのを憶えている。だいたい最初からアメリカの衛生基準に合わせてシステムを作って、冷蔵庫から出したものをバイトが組み合わせるだけのハンバーガー屋と、料理をその場で炒めている中華料理屋を、同じ基準で査定するのが無茶なのである。私の知る限り、中華屋の店員は毎日終業前に台所周りの壁を丁寧に拭いていたし、ゴキブリが全く寄り付かない店というのは、それはそれでヤバいと思う。ゴギブリが怖くて中華が食えるかー!(つづく)

 まあそういう個人的な話はともかく、なんか都市伝説にゆる〜く絡み付く形で私は書きたいことがいろいろあるような気がするのでぼちぼちいきます。文章は途中でどんどん書き足したり書き直したりするかも。以下は今後のお題。

黒いヘリコプターと「新しい世界秩序」の噂
イエローストーン国立公園のひみつ基地
Deus Ex
Danny the Dog と「大地無限」
「Bの人」
「マトリックス」とジョエル・シルバーの映画
ベトナム戦争とアメリカの警察組織
Black Hawk Down
伊丹十三の「日本世間噺大系」

11/11

ヤン殿

返事が大変に遅れて申し訳ない。ご存知のように秋学期も終わりに近づき、時間は九月に比べておよそ370%のスピードで流れ、万物は歪み始め、学内を行き交う人々はいよいよサイバラさん言うところの「Uボートの終わりの方みたいな」緑色に煮詰まった顔をしている。ハロウィンに私は学内の映画館で「フレディ対ジェイソン」を鑑賞した。一つぐらい時候にふさわしいことをしようと思ったからだが、どうも面白くなかった。最初から最後まで殺し合いばかりしているくせに、あの映画には決定的に狂気が足りない。それ以外は本を読んで文章を書いて授業に出て日本語を教えているだけだ。時には蛸を茹でたりリスに餌をやったりもする。なぜなら蛸に餌をやったりリスを茹でたりするのは楽しくないからだ。感謝祭の休みにはもう少し正気のメールを書けると思う。ではまた。

10/20

私が尊敬するのは、だれも目に留めないもの、その存在にすら気付かないもの、あるいは世間がとうに忘れてしまったものを拾い上げて「これは面白い…!」と呟く人である。たとえその美意識がメチャクチャだったとしても、少なくともその人には自分の考えと、それを口にする勇気がある。それ以外の人間が何千人何万人、騒ごうが喚こうが、あたしゃどうでもいいです。もォ鼻糞ほじっちゃうもんね♪

10/11

みなさんお待ちかねのタランティーノ映画 Kill Bill が公開されたので、さっそく買い物用自転車を時速七十マイルですっ飛ばして見てきました。すごく良かったので来週あたりまた見に行くと思います。以上、報告終わりッ!


あくまで蛇足・その一

日本公開にはまだ多少間があるようなので、待ちきれない方々は次のような作品を鑑賞しながらその日を待つと、より楽しく見られるかもしれません。

あくまで蛇足・その二

ところで左目がほとんど四十五度で吊り上がっているという、まさに「アメリカ人がイメージする東洋人顔」のルーシー・リウ姐御…の通訳を演じていたジュリー・ドレフュスという人は私のおぼろな記憶によれば日本国のマスコミに常時三人ほど飼育されているような気がする「プロのフランス人」で、しかも学歴高い系なので教育テレビとか文藝春秋の上質紙のページに妙に大きな白黒写真入りで連載される広告絡み対談とかそのへんのオジサン好みのキャラクターだったはずなのですが、なんとあの強烈なキャストに混じって一歩も退かず、いきなりその種のヌルい仕事が全部なくなりそうな凄まじい演技(あれを普通の意味で「演技」と言うかどうかはともかく)を見せてくれました。よく見たら最近とみにタランティーノ好みの顔だよなこの人。ルーシー組長の英語による罵倒表現を極めて冷静な口調で同時通訳する場面も、日本語としてあまりにも正確で上品であるがゆえについ笑ってしまうという、ハリウッド映画としては画期的な事態が発生。(いわゆる「変な日本語」にはもう飽きたっすよ。)とりあえず無意識とはいえ彼女および彼女的あり方を長年バカにしていたことに罪悪感を覚えたので、わたくしから特別賞を差し上げたいです。相手を見くびっていたと気付いたら殺し合いの最中でもすぐ謝るのがタランティーノ的に正しい東洋の作法らしいし。

8/15

 最近、宮崎駿とは無関係な線でキツネリスの写真を探しにくる人が多いので、山田の写真部屋を新設。なんか山田以外もいろいろ写ってますね。文章も付けようかと思ったけれども、ごく一般的な意味では私が妙な気合いを込めて書き散らす文章より山田が昼寝でもしている姿の方が遥かにウケるわけで、まあ当面はこのままで写真だけ増やしていこうかねと…ちなみに html は iPhoto で自動生成した極めて投げやりな代物です。


 「私はあまりにも多忙で知的で重要な人物であるため、自分の個人的成功に寄与しない活動には一分でも時間を費やしたくない」という雰囲気を振りまく人々を常日頃私は憎悪している。しかし今夜ばかりは私もその種の人々を多少うらやましいと思った。私が Albertsons でトマトジュースでも買おうと思って暮れ方の町をぶらぶら歩いていると、かの台湾の大学教員J氏が通りかかって、部屋に来ないかと言った。例によって私はあまりにも露骨に暇であったので、忙しいとは言いかねた。しかし私は逃げ出したかった。一人暮らしの彼の部屋は常に私が生命の危険を感じるほど清潔で整っており、机と書棚には大量の文献と博士論文の草稿が整然と並び、彼の生活態度は常に教育的かつ学術的で、しかも最悪なことに彼は変態的な趣味を持っている---つまり私を捕まえては日本の大衆音楽のコレクションを披露したがるのだ。私が躊躇しているのに気付くと、彼は私のためにスペシャルなものが用意してあると言った。今夜はあまりスペシャルな気分ではないのだと私が控えめに伝えると、彼は全てを見抜いているかのように「スペシャルな食べ物もある」と付け加えた。かくして彼は交渉に勝った。

 スペシャルな食べ物とは餅の代わりに大きなクルミの実が沢山入った台湾式の汁粉であった。「砂糖以外の材料の味がちゃんと分かる甘い物」は確かにこの国において非常にスペシャルである。彼は学者などやらせておくのが勿体ないほど料理が上手い。私が喜んで最初の一口を食べているとき、J氏は既に一枚目のDVDをコンピュータにセットして、外付けスピーカーのボリュームを上げていた。美しい中国大陸の風景とオーケストラをバックに、口髭を生やした微妙に胡散臭い小男が「これから自分は牡牛座のプレアデス星団に別れを告げて冴えない顔色でどこかに行くのだ」という歌を歌いだした。この歌手がアダルトビデオのコレクターおよび批評家としても有名であることを私が教えると、J氏は多少傷ついたような表情で「それでも彼は偉大な歌手である」と言った。私もその点に異存はない。「人生は苦労の連続である」という趣旨の歌が流れ始めると、J氏はビデオクリップの撮影地である中国の田舎の貧困を指摘した。「ほら、あの自転車に乗った男は己の貧しさを恥じて顔を伏せている。」しかし私には単なるカメラ嫌いにしか見えなかった。私は中国人とも台湾人ともそれなりに付き合いがあるので、こういう話題が出ると非常に居心地が悪い。

 二人目の歌手は、幸いにして彼がさほど尊敬していない人物であった。私達は70年代そのままにYMCAの歌で熱く盛り上がる四十代の歌手と、最年少でも三十代の女性からなる聴衆たちを見て共に昔を懐かしんだ。五大湖地方の住人たちは今でも結婚式のたびにこの曲で踊るし、テーブルで話し込んでいる人々ですらYMCAの動作には参加するのだと私は言った。私はこれらの歌手を決して嫌ってはいないけれども、私にとっては半ば歴史の中に埋もれてしまった人物が今でも当時さながらに踊り狂っているのを見るのは不思議な気分である。そして今や全てはDVDの綺麗な映像で見られるのだ。自分がどこにいて今は西暦何年なのか、しばしの間私は分からなくなった。

 帰りがけにJ氏は、私がなぜ自転車に乗らずに歩いているのか尋ねた。私は自転車を盗まれた話をした。「でも自転車がないと君はWincoに行けないだろう?」私は赤面した。ちょうど去年の今ごろ、まったく同じような状況で私は言ったのだ。「えーと…その…音楽はとても楽しかったんだけど…私はこれから Winco に行ってキューリを買わねばならないので…

8/11

「XGシリーズのパルス変動型ドノヴァン機のように走り出してそのまま離陸したくなることはないかね?」-----Space Ghost


 

 マトリックス・リローデッドの例の脚本にコメントをつけるとか言って長らくそのままになっている。落ち着いて考えたら別に私はあの脚本に付け加えたいことなどない。あの脚本には観客をはぐらかすための仕掛けもないから、読めば分かるはずだ。そもそもあれを日本語に訳すという行為は、映画版に関してやたらと回りくどい言葉や理屈を連ねて「だからあの作品はすべて正しいし面白い!うんうん」と自分を納得させようとする(だけではなく他人まで説得しようとする)人々に対するイヤミ以外の何物でもない(ちなみに私の観察するところでは、アメリカでは英語もまともに書けんようなティーンエイジャーに、日本では学歴の高いお子様に、マトリックス教の信者が多い。)のだから、理屈をつけなくても単純にアクション映画として面白い脚本に私がゴチャゴチャコメントを付け加えては、イヤミパワーも半減ではないか。それでも敢えて言うことが有るとすれば、「ここは日本語として変かもしれないけど、別に何も考えずにそうなったわけではなくて云々」という訳者としての弁明の類いである。我ながらつくづく心が狭いなキヒヒヒ。

 訳していて強く感じたのは、あの脚本を書いた人間(すなわちたぶんウォシャウスキー兄弟)は根っからの映像屋だということである。言葉から発想するのではなくて、彼らの頭の中にはすでに完成した絵があって、それを言葉で写し取った感じだ。(専業脚本家が書くものは、普通もっと小説寄りである。)あれが脚本という形をとっているのは、単に映画業界の慣習に従っただけであって、本来はマンガの形式で描かれるべきものであるという気もする。アクションの中に挟まれる「止め絵」がカッコいいのも、マンガや日本アニメの影響だろうか。したがって訳す時には、日本語としてのなめらかさや自然な語順よりも、作者の頭の中にあった映像を受信して、そのカット割りなりコマ割りなりを忠実に再現することを心がけた。ただ彼らは作家ではないので、ところどころ頭の中の映像に言葉が追いついていない部分があるし、ことさら気取った言葉遣いをした部分は、あまり効いてない気がする。さすがに削るわけにはいかないが、足りない言葉は多少私が補った。

 それから残念ながらあれは完成原稿ではないので、ところどころおかしな部分が残っている。レーザーがネオにマトリックスの仕組みを解説する部分は説明になっていないし、アクションが盛り上がってくる部分では兵器の名前とかが結構いいかげんだ。スミスの手足の本数がおかしいところは適当に直しておいた。ホバーの名前も二ヶ所ほど間違っている。

 ジョン・ウーからの引用については、気付く人はすぐに気付くだろうし、知らない人に向かって解説しても私も読む人も面白くないのでパス。見たことがない人は見ましょう。とりあえず『男達の挽歌』『狼・男達の挽歌最終章』あたりは明らかに元ネタである。テロリズムとかグレゴリー&スミスの位置づけとかについては多分いずれ日を改めて。たぶん。しかしビルが崩れるシーンは世界貿易センターの件以降、本当に洒落になりませんな。あの脚本が本当に99年に書かれたとしたら、その時点であんなビジョンが見えていた作者の頭は、かなり怖い。

 実は最近私は先日もチラッと書いた露伴の「幻談」と死闘を演じていて、どうも他のものを書く気力と時間が無いのである。以前から私はなぜ海外では鏡花や露伴よりもバナナやハルキあたりが人気なのか疑問だったのだが、要するに翻訳が大変すぎる作品はプロの訳者にとっては採算が取れないし、訳されないものは人気の出ようがない、というだけのことなのかもしれない。英語版ができたらここに載せてもいいけど、まあやっぱり日本語が読める人は日本語で読む方がいいやね。ぬー

7/28

例によってピザ会議に出席したら、ナワーフ君が古代エジプトの詩の英訳というのを見せてくれた。感動したので、英語から更に日本語に訳してみる。


[ねえ、池に下りていこうよ]

ねえ、池に下りていこうよ、
身を寄せあって水浴びしようよ。
あなたのためだけに、あたしはメンフィスの新しい水着を付ける。
透けるような亜麻布の、まるで女王様みたいな------
水の中でそれがどうなるか見においでよ!

いっしょに水に入ろうよ。
つめたい水が二人を包むの。
そしたらあたしは深く潜って、
ぐっしょり濡れて戻ってくるの。
あたしが捕らえた可愛い赤いお魚で、
あなたの目を一杯にしたい。

すっくりと浅瀬に立って、あたしは言うの。
あたしの魚を見てよ、
手の中の可愛いお魚を。
その両脇を、
あたしの指がそっと撫ぜてゆくのを。
あなたの視線に目をうるませて、
あたしはそっとささやくの。
あなたにあげる。お礼は要らない。
もっとよく見て。
ほら、これがあたし。


…ふと冷静になってみると私はこういう色気方面のことがまるで駄目なので、詩になっていないところは勘弁して頂きたい。最後に英語版も載せておく。古代エジプト語版はもっとイイのかもしれんね。賢明かつエロい読者諸氏はすでにお察しの通り、彼女は別に手掴みで魚を捕る野獣的生活力を恋人にアピールしたいわけではなくて、赤というかピンクというかそういうものを指でもってそのぅ…あははははは…なわけですね。やってることはほとんどアメリカのポルノ女優だけれども、いい詩だと思う。ちなみに「世界の文学」の授業でこの詩を取り上げた某教授(谷崎潤一郎好きの偉大なる変態)は、超保守的で単純素朴なクリスチャンの多い学生層を考慮して魚の陰喩に関する説明は避けたらしいのだが、そしたらそしたらさる女子学生が、中間試験のときクラスの前で暗唱する詩にこれを選んでしまって余計大変だったそうな。ちなみに彼女はパレスチナ系移民の、やけにガタイのいいダイナマイツ天然ボケ空手ガールで、実はけっこうお盛んだという噂も聞くので、少なくとも無意識のレベルでは充分詩の意味を理解していたのかもしれぬ。フォッフォッフォッ、古典文学の世界は深いのう…


[Love, How I'd love to slip down to the pond]

Love, how I'd love to slip down to the pond,
bathe with you close by on the bank.
Just for you I'd wear my new Memphis swimsuit,
made of sheer linen, fit for a queen---
Come see how it looks in the water!

Couldn't I coax you to wade in with me?
Let the cool creep slowly around us?
Then I'd dive deep down
and come up for you dripping,
Let you fill your eyes
with the little red fish that I'd catch.

And I'd say, standing there tall in the shallows:
Look at my fish, love,
how it lies in my hand.
How my fingers caress it,
slip down its sides...
But then I'd say softer,
eyes bright with your seeing:
A gift, love. No words.
Come closer and
look, it's all me.

7/23

 二十歳前後のころ不思議だったことの一つは、世の人々は何故、自分自身とか恋愛対象とか贔屓の野球チームとか自分の所属する(した)組織とか家族とかに、ものすげえ非現実的な愛と幻想を注げるのかということであった。最近ようやく気がついたのだが、どうも人類としてはそっちの方が普通で、私が異常なのである。私は自分については縁日で買ってきたカメさんを飼っているような気分なので、「ちゃんとエサ食って生きてりゃよかろ、まあカメだし」程度に思っており、他人とか所属組織に対しては概してそれ以下の愛情しかないので、これはもう人として相当にアレである。なぜ山田が好きなのかといえば、山田は自立した他人なので私が面倒を見なくても生きていくからだ。向日葵の種をやると喜んでボリボリ食うし、何にもないので食パンを出したりすると口を開けたまま「あり?」という顔でこちらを振り返ったりもするのだが、しばらく放っておけば全部忘れてその辺の木の実を食って丸い糞をして階段の下に潜って涼しく昼寝をするだけだ。これが野良猫になると、もうけっこう難しい。二三度餌をやると、すっかり頼りにされてしまうからである。しかも猫というやつはリスと違ってすぐに家族や友達をゾロゾロ連れてくるので、餌代が洒落にならない。頼りにされると、応えねばならないような気がする。愛は乏しくとも時として義理は感じるタイプなのだ私は。忘八の境地はまだ遠い。

7/21

 コンピュータ部屋のあるビジネス科の暗い廊下でぼんやり掲示板を眺めていたら知り合いが通りかかった。(あの建物の複雑怪奇な構造のせいで、そこが一階なのか地下一階なのか未だに判然としない。)日本にも帰らずに最近どうしているのだと訊かれたので、色々読んだり書いたり訳したりしているのだと私はボソボソ説明した。そこで彼が小脇に抱えている二冊の巨大なビジネスの本に気がついた私は、なんとなく気圧されて「…あとダイエットかな」と付け加えたが、そもそも私は掲示板の前で、自動販売機で買ったでっかいキャンディーバーを食べていたところだったので、これは全く説得力が無かった。その時食べていたのはネスカフェ製のBaby Ruth(60セント)で、パッケージが「ただいま10%増量中!」と絶叫している代物である。彼は意地の悪い人間ではないので私の左手にあるキャンディーバーの残りについては言及しなかったが、話している間中、キャンディーバーは手の中で罪の意識のようにヌラヌラと溶け続けて私を不快にした。食い物関係のバイトが私に教えたのは一つの単純な法則だ。すなわち「デブは概して食うのが好きで、沢山食う人間は肥っている」ということである。「肥った人間に限って飲み物の注文はダイエットコーク」というのも仕事に役立つ豆知識だ。その種の人工甘味料に関しては色々と楽しそうな噂を聞くので私はダイエットコークもダイエットペプシもダイエットスプライトも飲まないのだが、彼らがそういうものを注文してしまう理由は充分に理解できる。船が沈みかけていて、しかも脱出の方法が無いとしたら、 生き残るには船体の穴を塞いで水を汲み出すしかない。だがそれをしたくないばかりにデブの人はトチ狂って、船体にもう一つ穴を開けてみたりする。それをなるべく小さな穴(すなわちダイエットコーク)にすることによってデブの人は何らかの手を打ったつもりになるのだが、もちろんそれは何の対策にもなっていない。水は止まらない。船は沈む。

 ここに登場した知り合いは「人に会ったら内容はどうでもいいから三分ほど話をするものだ」と自動的に考えているタイプだったので、私も安心して雑念にふけっていたのである。(残念ながら人類の96%は彼と同じ思考様式だという統計もある。)彼は毎朝六時に起きてジョギングをするのが趣味なので体重の問題とは無縁の人であった。ついでに昼間はテニスをするらしい。

 夕方ピザ屋でデブ友のナワーフ君に会った。毎週月曜の「ピザ爆弾の日」にモスラの幼虫の如き炭水化物の塊を貪りながら様々なダイエット法およびその後の人生の明るい展望について語り合うのが最近の定例になっている。それゆえ「朝六時に起きてジョギングをすると痩せるらしいよ」と言ってみた。「……そんな不健康なことをしたら我々は痩せる前に死ぬであろう」とナワーフ君は言った。私もそう思う。

7/13

暑いんで、昔のバイト仲間が送ってきたジョークメールから一発。

Q:使用済みのコンドームはどうすればいいですか?
A:365個ためてから、溶かしてタイヤに変えましょう。これがほんとの "Good Year" タイヤ!

 

…………えー、ちょっとは涼しい風が吹き抜けましたか?


 第一回の放送がいきなり旧シリーズの使い回しで、どうなることかと思われた "Ren & Stimpy: Adult Party Cartoon" は、二週目にようやく新エピソードが登場した。いきなり泣き叫んでいるスティンピー。二人の間に何があったのか?自分の残虐性に気付いたレンは、まるでつげ義春の主人公のように夜の街をさまよい、精神分析医のオフィスにたどり着く。そして明らかになる彼の生い立ち…ニッケルオデオンを追い出されて以来十年、あちこちのネットワークをたらい回しにされてよほど要らん苦労(*)をしたらしいクリクファルシとその一味が、積年の狂気と鬱屈をたたきつけた傑作であった。三十分の商業作品とは思えない密度と濃度。正しいがゆえに危険なメッセージを振りまきつつ、きちんとコメディーとしてまとまっているのも凄い。このレベルで番組が続けばカートゥーンの歴史が変わる。残念ながらどこの世界にも歴史を変えたくない人たちは一杯いるから、どーせまたあっちこっちから横槍が入るんだろうが、頑張って欲しいものだ。

*念願かなってクリクファルシに認められ、Weekend PUSSY Huntに参加したと思ったら、あまりにもプッシー全開な内容のせいで話がロクに進まないうちにシリーズが中断されて全員クビになったので田舎に帰ってウェイトレスをしながら再びスパムコで働くために金を貯めていた根性座りまくり Katie Rice 21歳を始めとして、スタッフは苦労人が多いようだ。spumco.comが消えたのは、ドメインネームを維持する金がなくなったからだそうな。わたしゃてっきり会社が潰れたと思ったよ。


学内掲示板に貼ってあった、フランス語夏季講座の案内。

「フランス語を習いましょう  ブッシュがアメリカを破壊してしまったら、あそこへ移住せねばならないかもしれません」

ちなみに聖書大好きブッシュ君の理想は十六世紀あたりの神権政治らしいです。歴史を変えたくないどころか、思いきり逆流させてます。勘弁してくれよまったく…


 頭をぶん殴るように太陽のきつい日でも風だけは乾いて涼しいので普段クーラーの必要は感じないのだが今日ばかりは自転車で外に出た途端に芯までジュッと火が通って、暑いも熱いも通り越して「これは危ない」と思った。そのまんま立ってれば味噌が煮えてきっと倒れるし、そのまんま倒れてれば乾涸びて死ぬばかりだ。場所によっては死ぬまでに人が通るかどうかも怪しい田舎である。そんなわけで図書館とコンピュータ部屋をハシゴして生きているのだが、今この時コンピュータ部屋には他に三人ぐらいしか学生がいない。一体みんなどこでしのいでるんだ?石の裏にでもびっしり貼り付いてんのか?


 幸田露伴の短編「幻談」は、極めて平明な文章で書かれた、不思議な名品である。涼しげな江戸弁の語り口が、こういうとき読むと特に良い。青空文庫に入っているので、暇な人は今読もうスグ読もう。岩波文庫だと「観画談」も付いててさらにステキだ。しかし日本語というのは融通が利きすぎて困ったものである。たとえば「幻談」にはこんな一節がある。

それは西暦千八百六十五年の七月の十三日の午前五時半にツェルマットというところから出発して、名高いアルプスのマッターホルンを世界始まって以来最初に征服いたしましょうと心ざし、その翌十四日の夜明け前から骨を折って、そうして午後一時四十分に頂上へ着きましたのが、あの名高いアルプス登攀記の著者のウィンパー一行でありました。

 先生これ意味は分かるけどどう訳せばいいんですか「それは」はどこに繋がるんですか「名高い名高い」って一文の中で二回も繰り返すのアリなんですかと西陽の六畳間で問い詰めたい帝都物語。(前衛俳句風)

7/5

 私も人類なので、数年に一度は新しいパンツを買わなければならない。ここで言うパンツとはもちろん下着のことである。ちなみにその上に履くのはズボンだ、OK?それにしても下着のパッケージについているモデルの写真と言うのは、パンツ一丁で横を向いてカッコつける男たちの無意味さが素敵である。まあパンイチで直立不動のまま正面を向かれたら人体模型みたいで怖いし、ファッションモデルじゃないそのへんのおとーさんが写っていたら、もっと気まずい代物になるだろうから、ああするしかないんだろうけど。まあそれはともかく、このまえ巨大スーパー Wal-mart にパンツを買いに行ったと思いねえ。いや別に目的はパンツだけじゃなかったと思うが、私は概して食えないものを買うのが嫌いなので、やはりパンツだけを買いに行ったのかも知れぬ。食い物はたいてい Winco で買うけんね。しかしその、なんだね、トランクスってのはなんであんなに高いんだろうね。一番安いのでも、7ドル出して二枚しか入ってなかったりして。もっと安いのを束にして売ってることもあるけど、ああいうのって乾燥機を使うとすぐ破れるんだよな、やだねえ。やはりここは今のパンツ構成であと二年ほど頑張ってみるかと諦めかけて、ふと隣のブリーフのコーナーを見ると……やっ、安い!トランクス二枚の値段で、五六枚は買えるッ!嗚呼、そもそも私は何時から「パンツと言えばトランクス」の人になったのであろう。思い返せば二十歳の頃だ。メディアに溢れる不特定の婦女子の意見など考慮して私はブリーフからトランクスに移行したのだが、今にしてみれば無駄な足掻き以外の何物でもなかった。当時の私に会えるなら、「悪いことは言わん。そんな小細工をする暇に、とんかつ屋でバイトでもしとけ」と言ってやりたい。パンツより金、ファンタジーより現実だ。トランクスはいかん。仕立の都合なのか股間のあたりにけっこう堅い部分があって、クッションの悪い自転車に乗ったりすると痛い。何も考えずに短パンを履くと、でかいトランクスは裾が出る。下手な姿勢だと中身も出る。生地が伸びないので、ウェストサイド物語の真似をすると股間や脇が破れる。その点ブリーフはしぶとい。たとえ穿きまくりの洗いまくりで穴が開いても、ビリビリ破れることはない。怪しいポーズも自由自在だ。つまるところ、ぼんやり他人の意見に流されてもイイことは何もないのだ。嗚呼、俺は一体何処で間違って、あたら若い命を…

 そんなわけで最近私は三日に一度はブリーフなのである。私のパンツのことなど聞きたがる人間はいないのでここに書くのである。読む人間にとってはいい迷惑である。世の中はそういうものである。

5/24

去年の秋から私が日本語を教えているJ青年は東洋武術から入った肉体派のオタクで、試しに例のサニー千葉十枚組を貸してみたら三日で全部見てしまったという剛の者である。私は一本見ただけで下痢しそうになったし、一般人にとっては致死量の数十倍の千葉濃度だと思うから、急いで見なくていいと言ったのに…ちなみに隣町で彼に武芸百般を教えている先生というのがまた只者ではなくて、もともとカトリックの尼さんだったのがブラックパンサーの闘士になり、以後ブルース・リーの盟友ダニー・イノサントに師事したり日本まで武者修行に行ったりという大変なお人らしい。J青年が直接目撃した範囲では、道場破りに来た下品な大男を、ものの数秒で綺麗に折り畳んでゴミコンテナに叩き込んだことがあるそうだ。

で、そういう凄い人の弟子であるところのJ青年が「じゃあお返しに」といって貸してくれたのが、あまりにあんまりな英語題で有名な "Samurai X" こと『るろうに剣心』のビデオやDVDであった。これはやはり十枚組に対する返し技ということだろうか。原作漫画を私は読んだことがない。とりあえず外伝的扱いの幕末篇OVAシリーズは、けっこう面白かった。どうやら最近作られなくなった大作時代アクション映画が大好きなスタッフが、人気漫画にかこつけて作ってしまったらしい、本格的な時代劇アニメである。何しろ原作とはキャラクターの性格も絵柄も全然違う。ラスト十五分ぐらいは幕府の隠密たちとの連続勝負で、最後に出てきた「有無を言わさぬ実力で主人公を圧倒するものの、時の運で負けてしまう凄腕の敵」は紛れもなく千葉真一がモデルであろう。「刀を持った相手の懐に正面から飛び込んで素手でぶん殴るマッチョ忍者」という無茶なキャラクターで、実にカッコよく主役を食っている。しかし原作により近い(たぶん)テレビ版劇場版は…せ、拙者ちょっと腰に来たでござるよ。おおかた歳の所為でござろう。やはりこれは復讐されているのだろうか。返すとき正直に「腰に来た」と言ったら、実はJ君は幕末篇の方が本編で、明治篇の方がパロディー的外伝だと思っていたことが判明した。なんとなくアメリカではそういう売られ方をしているようだし、私もできればそう思いたい。おそらく主人公はサニー師匠の地獄拳に何度も頭部を直撃されたおかげで、どこぞの猫型宇宙海賊のように退行してしまったのだろう。退行後の方が人気があるというのも、また世の常か。というわけで今回はJ君に完敗したので、いつかまた隙を見て『大英雄』や『新・ドラゴン危機一髪』(*)を貸してやろうと思う、げへへ。なにしろ敵は『方世玉』あたりはとっくに見ているそうなので、並の馬鹿映画では勝ち目がないのである。春学期の最後の授業で、夏はどうするのか聞いてみたら、大きな病院でガードマンのバイトをするという。こそ泥でも捕まえるのかと思ったら、主として彼の出番は病院で人が死んだときらしい。遺体にすがりついて離れない家族とか、取り乱して暴れ出す人たちを「なんとかする」のが彼の仕事だという。き、きつぅ…

やはり人間若いうちにいろんな仕事をしておくと、心身が頑丈になるのだな。

(*) ドニー・イェンが小学生時代から暖めてきた理想の自己像を全身で演じ切る、ナルちゃん炸裂のプライベート・フィルム。ドニー・イェン本人もしくは彼に完全に同化しているファンにとっては傑作らしいが、単なるカンフー映画好きが見ると大変なことになる。『ドラゴン危機一髪 '97』と間違えて買ってしまった者は、その後生涯自分を責め続けるともいう。ある意味、真のドナー、いやドニーファンを選別するための試金石か。

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