森に囲まれた岩場に、澄みきった湯が湧き出している。どうやら森の中でも特別な場所らしく、ここだけ緑の天井が空に向かって開いており、ほとんど真上から白金色の陽光が差し込んでいる。体を浸すと、透明な金と緑と空の青とが水面でゆれる。まるで意識を持っているかのように、取り囲む森の、深い存在感。しかし見られているというよりは、守られている感触。眼を閉じると、いつか見た立体星図のようにさまざまな距離と方向から無数の鳥の声が聞こえてくる。岩の間に居心地のいい場所を見つけ、肩まで浸かって身を落ちつけたところで、岩の上をちょん、ちょんと跳んできた鮮やかな黄色の小鳥がいきなり頭の上に舞い降りた。驚いてじっとしていると、しばらくこちらの髪の毛をつついてみたり、自分の羽をつくろったりしていたが、やがて卵でも暖めるように頭のてっぺんにふわっと座り込んでしまった。どうやらよほど気に入ったらしい。眼を閉じてうずくまる小鳥の気配を頭の上に感じながら、こちらも湯に身体を預けることにする。頭を洗うときはどうしよう、なんてことはとりあえず考えない考えない。
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激震、姉弟愛! 高校の同級生に、S辺という男がいた。180センチを軽く超える大男で、逆三角形の上半身と豪快な目鼻立ちは日本人離れしていた。一級上にいた彼の姉上も綺麗な人だったが、いかんせん身体の大きさまで弟そっくりだったので、瀬戸内の小さな町では少々目立ちすぎたようである。「S辺のねーちゃんアンドレエ♪(*)」とお調子者の男子生徒に囃し立てられると(田舎の高校生は堂々と子供だ)、S辺青少年は真剣に腹を立てて彼らを追い回した。なにせ大男なもので、教室中がドドドと揺れる。どさくさに紛れて空中をチョークが飛び消しゴムが飛びキングサイズの上履きも飛び、黒板消し手榴弾の濛々たる爆煙に朝のひかり射し込む香港アクション的狂躁のなか、いつも我々の一日は始まるのだった。ある種の病院や監獄に学校が自然と似てくる理由も、今となっては分からんでもない。
(*)--- アンドレエ・ザ・ジャイアントという巨大プロレスラーが当時いたのですよ。ちなみにこの台詞は「ちゃ」を関西風に強く読むと、より臨場感を味わえます。
金毘羅スピリッツ
大学受験のころ、香川県の農村に住む父方の祖父母が琴平金毘羅宮(少なくともあのへんでは有名)の護符を送ってくれた。入試の結果が思ったより良かったので、あとで二人にお礼を言いに行ったら、超ディープな讃岐弁で「農協のみんなで共同購入したのだから効くと信じていた!」とワケの分からぬことを言われて激しく脱力した覚えがある。だいたい、金毘羅様は学業じゃなくて航海安全の神様ではないか。四国、そこは宗教のアヘンあふれる三昧境…
遠い窓 四国のとんでもない山奥の谷間の寂れた坑夫の町の町はずれ(すなわち谷間からいちばん高く山に這い上がったところ)に建つ一軒家に住んでいたことがある。普通の意味での「御近所」もあるにはあったが、私自身がいつも気になっていたのは「お向かい」---すなわち、谷間を挟んだ反対側の山の中腹、ちょうど我が家と同じぐらいの高さにぽつんと住んでいる一家であった。直線距離にして一キロといえば、あのあたりの住人なら遠いとも思わずに平気で歩く距離だが、なにせその「お向かい」を訪ねて行こうとすると急な石段を三十分がかりで一旦谷底の街(メインストリートにはバス停と床屋と万屋があった。)まで降りてから同じぐらいの長さの石段をまた登らねばならないわけで、結局その一家と近所らしい付き合いは何もなかったと思う。しかし、町が寂れるということは、猟銃の音の谺とともに空気が澄み渡っていくということである。風の音や水の流れ、鳥や虫の声が四六時中皮膚感覚のように再び聞こえ始めるということである。うちの庭から絶叫すれば、向こうの家までたぶん声は届いただろう。どこの家にもあったキャンプに使うような大型の懐中電灯で信号を送ることもできただろう。夕方には、その家の住人が山水画中の人物のように曲がりくねった石段を辿って帰ってゆく(くる、と言うべきだろうか?)のがはっきりと見えた。南西日本特有の長い長い日没後の薄明が消えるころ、玩具のように小さく見える窓に律義に明りが灯るのを見ると、不思議な安心感を覚えた-------
ネット上で知人を作ることにあまり熱心でない(あ、普段も、か…)私にも、いくつかの気になる個人ホームページは存在して、そういった「家々」を夜更けに通り過ぎては今日も律義に更新されていることを確認して安心する、というのがここ半年ほどの就寝前の儀式である。住む場所や生活様式が変わっても、そういった部分で私はあまり変化してないのかもしれない。
「青春飼育篇」
高校にも試験休みがあることは東京に来て初めて知った。田舎の良識あるヒトビトが学校という場所に期待することは、往々にして「やつらを野放しにするな」以上の何物でもなかったりするので、かつて田んぼを埋めて建てられたという我が母校もケモノを檻に入れておく技術だけは一流であった。期末テストの採点で教師陣が手いっぱいのとき、我々は大喜びで「くらすまっち」なんぞやらされておったのだ。ほとんどボールさえ与えておけばキュッキュと機嫌良く遊んでいるアシカさんである。ふっ、しょせんは動物園さ…
ご近所が大自然だった頃
裏庭の柿の木で、ばあさま毎日お猿とバトル。
一時間に一本だけ、のんびりと時間をかけて風景の端から端へ通り過ぎる「汽車」の音は、山と海に包まれたしずかな眠い町の隅々まで響き渡った。たった二両の、オモチャのような編成。田園地帯の動く点景。それでも日本中、いや世界中のいろんな田舎町で、少年はあの音で目を醒まし、いずれはあの音とともに町を出ていくのだろう。毎日サナダムシのように長い通勤電車で鮨詰めになっている今思うと、同種の乗り物だとはとても思えない。
樹帰り道、風もないのに梢だけがざわざわ揺れる不思議な樹があった。犬と二人でその音に耳を澄ます夕暮れ時。