仮想温泉ぷろめてうす

 

【不更新メモ2006-】

2008/11/09

ワニがドラムをたたきます
ボンボコツルリン ボンツルリ

(片岡輝「とんでったバナナ」)


南洋の浜辺でワニと踊るバナナを捉えた二行目は擬声語と擬態語が平然と混じり合っていて、こういう妙なものを事もなげに扱えるのが日本語の強みだけれども、詩人のペンにも神が宿っていたようだ。晩年の室生犀星はこのくだりを評して言う。「詩人はこういう詩句を三つも書いておけば、あとはバナナと踊って暮らしても良い。」

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今学期から使っている教科書付属のワークブックにあった問題。

ともだちが(来る/来た)とき、部屋をそうじします。


両者のニュアンスの違いを詳しく説明した上で、「文法的にはどちらもあり得ますが、社会的には前者の方が適切とされるでしょう」と結論したのだが、学生は一人を除いて何が可笑しいのか分からぬ表情だった。思えば私は何処で何を教えても大概こんな感じである。私の説明が悪いのか、それとも私以外の世の中は適切な人ばかりでできているのか。

2008/10/22

さる少女が意中の少年と二人、白い小卓で苺を食べている。摘みたての苺は少年の母親がしばらく実家に帰った後に、埋め合わせのように持ち帰ったものであった。その微かな酸味に言及することで歌は一応のハッピーエンドを迎えたのだけれども、この三角関係が以後三十年ずーっと続いていたらなどと想像すると中々に恐ろしい。山口の表札を掲げた家で三人が三竦みのように住んでいる。もともと影の薄かった父親は疾うに位牌にでもなっているのだろうか。この物語を生み出したみなみらんぼうが、わりと早いうちに二人を引き離して世界に風を通したのはきわめて健全なことであると思う。とはいえ退場させられるのが母親でなく少女であるあたりが非常に日本なのだが。そしてやっぱり出てこない父親。

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小学一年の国語の教科書の最初に載っていた話を、今でも時々思い出す。ネットで少し調べてみたら、あちこちで語られて
いる割に確かな資料が見当たらず*、私の記憶ともずれているのだが例によって妄想まじりバージョンで書いてしまうことにする。

あかるいね。
殻を割って現れ、眩しげに空を見上げるひよこ。草にそよ風。卵が勝手に孵るはずはないが、なぜか毋鳥の姿は見えない。
ふたつにわけよう。
宿無しのひよこを見た気のいい斑犬、いきなりどこからかノコギリを取り出して自分の犬小屋を半分に切りはじめる。絵はそれなりにリアルだったと思うが、手の辺りはどうやってごまかしてあったんだか。
たいへん、たいへん。
半分になった犬小屋にそれぞれ収まったところで、にわかに降り始める春の雨。ひよこには犬小屋半分でも充分だが、犬のほうは尻が完全にはみ出している。くるんと巻いた細い尻尾。
よかったね。
突貫工事で無理矢理また継ぎ合わせた犬小屋に、犬とひよこが仲良く収まって雨上がりの野原を見ている。めでたしめでたし。


きのう夜更けにまたこの話を思い出して、ふと気がついた。つまるところ私もまた勢いで猫どもと家を半分こしてしまった犬であり、リソースの配分その他をじぇんじぇん考えなかったせいで私のケツはいまだに雨ざらし、ある意味「よかったね」のページにさえ辿り着いていないのである。小学校以来、ず〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと学校に通って、国語だの英語だのを耳から噴き出すほど勉強しまくった挙句に、これか。私はあそこに戻ってやりなおすべきなのか。ちなみに同じ教科書に載っていた他の話は全く覚えていない。

2008/2/18

今年の学生はなかなかにスルドいので「源氏物語」を教えることにしたのだが、
どうもスルドさの方向性に問題ありで、
例えば「空蝉」のラストで源氏が
「ではつれない姉さんの代わりに私は君を愛そう」とか言って男の子と一緒に寝ているのを見て
すかさず「これはつまりハメているのですか?」などと聞いてくるのである。
「うぐぐ。えーと、可能な状況なら必ずハメるのが源氏っていう学説もありますね。よい子のみんなはどう思うかにゃー?」
どうもあんまし断言したくない話題なので他の学生に振って逃げる私。
そして「若紫」。
「は、ハメてますか?ハメハメですか?」
「さすがの彼も、まだハメません!後でハメますが。もーズッポシと…」

かれこれ二十年前、某エロ雑誌で名物編集者とアイドル系AV女優が
新作エロビデオを見ては「入れてます!」「入れてません!」
と鑑定する連載があったけれども
まさか自分が海の向こうでハメ鑑定士になるとは思わなんだよ。
人間到る処青山あり。

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「監禁調教剃毛脱走」

先週の火曜日、
予防接種のために「まりも」を獣医に連れて行きました。
こいつを獣医に連れて行くのは本当に大変なので
前の晩に帰ってきた時から月丸もろとも監禁して
病院では注射の他にも真田十勇士を駆除する薬を飲ませたり
左肩の辺りのカサブタを調べるためにバリカンで毛を剃ったりしてもらいました。
病院のスタッフには「月丸より大人しくて良い子」と
好評だったものの
まりも内部で何かの限界を超えたらしく、
帰宅した途端に家出、そのまま数日間行方不明。
今までにも犬や猫に脅されてしばらく山に引きこもったことは何度かあって、
そういうときは山に行って呼ぶと出てきたのですが、
今回は僕自身が問題なので呼べど叫べど出てこず。
こいつはもともと山の麓のガールフレンドの家の庭で一日の九割を過ごすという
スチャラカな奴なので
彼女の飼い主に確認したら案の定、
そこの巨大な庭で野生化してると聞いて安心したのが土曜の朝。
で、日曜の夜、さあ寝るかと明かりを消して布団に潜り込んだところで
猫ドアからごそごそ入ってきて
すごい勢いで飯を食って、僕の膝のあたりにくっついて寝ました。
ときどき明かりが消えるのを待ちかねたように入ってくるのは
なんか後ろめたいんすかね。

8/31

「アニメ研の顧問になってください(心臓記号)」と新学期早々アニメ体型の女子学生に頼まれたのでハイハイと承諾した私だが、二年ほど前に同じ事をアニメファン体型の兄ちゃんに頼まれたときはノラクラ逃げたような気がする。我ながら分かりやすいな…
と、ここまで書いたところで正式の書類を持って署名を取りにきたのはしかし、やっぱりアニメファン体型の別の女子学生であった。騙されて空見る夏のをはりかな。

7/26

散歩中に腹が減ったので近所のラーメン屋に寄ったら何時もの親父の代わりにカウンターの中にいるのはどう見てもラテン系の見慣れぬ男、出てきたラーメンには巨大な豚の角煮だのプリプリの剥き玉子だの鷲摑みの特製メンマだのネオンサインみたいな極彩色の蒲鉾だのがヤケクソのように載っていて、いったいこの店はどうしてしまったのか、確かにある意味これはラーメン好きの夢の具現化だが、まず麺よりも具の方が多く、しかも味がやたら濃厚でクラクラする。どうにか食べ終えて金を払おうとしたら、今度は更に珍妙な顔の男が調理場から現れ、俺のラーメンも食え、いや料金は一杯分でいいからと早口でまくしたてる、そうして出てきたのは一見わりと普通の東京ラーメンなのだが、しぶしぶ一口すするといきなり店が、いや脳味噌がぐらりと揺れた。やはり只ならぬ代物である。うまい。うまいが脂汗が出てきてこれ以上食うと私はブッ倒れるやもしれぬ。隙を見て逃げ出したいのだけれども、顔だけで治安維持法に引っかかりそうな凶悪な人相の出前持ちが先刻から巨大な包丁を持って店の前をウロウロしており、スープを全部飲むまで帰れそうもない…

というわけで「グラインドハウス」見てきたっすよ。日本の配給会社がこれを二本に分けて公開すると聞いたときには「この銭ゲバめ」と思いましたが実のところ客の体力に配慮しただけかもしれません。ヌルい客は全部途中で逃げ出す(実話)、殺る気満々の二本立て。ちなみに出前持ちの写真はこちら。

3/15

ポテト州立大学より色んな意味で遥かに優秀なはずのカリフォルニアの有名校でジャーナリズムを教えている某教授によると、彼の学校はハリウッドに近いせいかマスコミ志望の女子学生の大半が芸能リポーターをやりたがっており、男子学生はスポーツ記者になりたいのが多いんだそうな。数年前に経営方針が変わって仕事がしづらくなるまで教授はCNNの最前線で戦争だの汚職だのを追いかけていて本来ならそっちに居たい人なので、学生の志望を聞くたびにメリメリと気力が落ちるらしい。私も古い人間なのでジャーナリストと聞いて思い出すのは昔のNHKの松本清張ドラマ「けものみち」(*1)で刑事コロンボみたいなよれよれのコートを着て電柱の影でアンパン齧りながら尾行して田中角栄(のような人物)の疑惑に際どいところまで迫りながらそれ故にエレベーターに数人で乗り込んできたプロの殺し屋に刃物でサクッと始末されて跡形もなく消される伊東四朗の事件記者なのだが最近の若者はあんな風に社に泊まり込んで芸術的に汚い布団で寝たり何時のまにか妻子に逃げられたり黒眼鏡の男から怪しい封筒を受け取ったり上目遣いでウドンかけをすすったり手際よく囲まれて刺されて簀巻にされて東京湾に捨てられたりとかそういうのに興奮しないのであろうか。まあ私もニャンコを残して死ぬわけにはいかないので最後の方は遠慮したいけれども、例の教授だってボスニアだのイラクだの無茶なところばかり走り回ってまだ生きてるわけで、スポーツと芸能などという取材の対象も事態の展開も社会への影響力もあらかじめ決まっているようなものにそれなりに脳味噌も体力も野心もある若ぇモンが入れあげて一体どうしたいんだか、どこの国でも若者は保守化してんのかねえ…(*2)

*たしか土曜ドラマ。オープニングテーマがいきなりボリューム全開の「はげ山の一夜」だわ妾とヒヒ爺いの粘着ベッドシーン(というか布団シーン)満載だわで、ハゲしい時代であった。「はぁはぁはぁ…おまえの…体はここにあるが…心は…はぁはぁ…ここにはない …」「…そ、そんな…ことは…あひぃ…」妾もメインキャラの一人なので、延々とこの調子で会話が進むのであった。あひぃ。

*ちょっと前の Harper's Magazine に、「最前線で命がけ」をやりたくてバグダッドの通信社の仕事に応募したら、仕事はアメリカ側の大本営発表や情報操作ばかりだったので幻滅して数ヶ月で帰ってきたイギリスの青年の手記が載っていた。たしかにそんなのに命かけたくないですな。

12/13

昔さる学校で日雇い講師をしていたとき、同僚にザーメンS川という六十がらみの男がいた。新聞に書いてあったことを別段自分の意見を交えるでもなく「かくかくしかじかだそうですなあ」と繰り返して「ほほうそうですか」というこれもまた無内容な返答を要求するのが「会話」だと思っている人々は日本に多いけれども彼はその極端な例で、教員室だろうが駅から学校までの道だろうが相手が男だろうが女だろうがお構いなしに「さる新聞記事によると、今時の若者はザーメンが薄くなっている」という話を毎度毎度繰り返すのには閉口した。いま思うと要するに「最近の若者はダメだ」という千古不滅の老人の繰り言に「若者は元気にそのへんの女を強姦せよ」みたいな生臭い伝統オヤジ思想が混じったものに過ぎないのだが、なまじ大学で教えたりしているものだから、そんな繰り言に大新聞の権威をくっつけてみたりして、自分では繰り言であると自覚していないらしいのが嫌であった。まあ老いの繰り言ってのはそういうもんか。近頃もっともらしく少子化を憂えたりしてる人たちも多分頭の中はこのレベルですね、ああ嫌だ。



ところで毎週そんなザーメン話を聞かされていた面子の中に、都心の高校でも教えている女の先生が居た。そのころ肉体労働で筋骨たくましい男子生徒に金を払っては裸の写真を撮っていたゲイの定時制高校教師が捕まって一時ニュースになったけれども、彼女はまさにその教師と職員室で机を並べていたのである。「で、今そこは空席なんだけど」たまたまザーメンが不在の日、駅までゾロゾロ帰る途上で彼女は言った。「そのまま残ってる本とか置物とか見ると、典型的な昔風の文学青年なのよっ!あなたたちもブンガクやってるんなら、うっかりそっちに走らないように気をつけなさい!」なにやら異様な迫力であった。何をどう気をつければいいというのか、文学は人をゲイにするのか、そもそもゲイになるのは「うっかり」とかそういう問題なのか、よくわからんが彼女の論理展開には「智恵子症」(註)以来の衝撃を受けた。思うに物事を筋道立てて考えることを止めたとき人はオジサンとかオバサンになるのであろう。つまり十代でも二十代でも老いる人は平気で老いて、精神をひからびさせてゆく。気をつけるべきはその辺であろうよ。

註・智恵子症

1990年代初頭に国電西船橋駅前のやっすい床屋のオヤジが客に向かってまくしたてるのを聞いたのだ。「むかし智恵子サンって気の狂った綺麗な奥さんがいてね、病気の名前が智恵子症。高村光太郎って詩人が治してあげようと思って山の中で二人一緒に住んだんだけど、どうしても治らなかったんだってね。いや普通なら不倫だよ、でもブンガクだから不倫じゃないんだよ…」

この話はサイトを作って間もない頃に書いた覚えがあるので今リンクしようと思って捜したら見つからない。どうやら何度となく引っ越しやファイルの整理をするうちになくしてしまったらしい。わしも年齢じゃのう。もうサイト始めて十年近いからのう。いつのまにかこの種の個人サイトはみんなブログに淘汰されたのう。


11/2/2006

「あんたたちこのへんの出かね」と訊くと、
このへんの若いモンは「いんや。おらぁ○○の出だあ」と答える。
それが大概車で一時間ぐらいの範囲に散らばる人口千人以下の村の一つなので、

君たちそれはバリバリの「このへん」だよ、イイ若ぇもんがそんなちっこい世界に満足してどうするよ、金がなくてもグレイハウンドに乗って何処でも行けばいいじゃないか、あとネットは近所のダチと喋るだけの道具じゃないぞ…と、言いたいことは山ほどあるのだが、もともと人にあれこれ指図するのが嫌いな性格なので腹が膨らむばかりである。そんなわけで、たまに留学したいという学生が現れたりすると裂帛の気合いを込めて推薦状を書く。田舎の若いモンが世界を見に行くのはいいことだ。


10/202006

「マクラコトバって何ですか」と聞かれたので
とりあえず黒板に「枕詞」と書いて字の意味を説明したら
「ああ、ピロートークね」
ちがーう!


10/9/2006

例の谷崎マニアの教授曰く
「どっかに谷崎訳源氏の英訳はないかのー」
ないと思います。いいかげん覚悟決めて日本語を勉強しましょう。

10/5/2006  「リハビリ」

秋深き隣は何をする人ぞ

「芭蕉最晩年の句。秋とは人生の秋でもある」という注釈を読んだ学生曰く、
「きっと芭蕉はボケてしまって隣がどんな人か忘れたんですね!」
あまりに大真面目に言うので反論しそびれた…

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今学期からオフィスが芸術科のビルに移った。
夏まで居候していたビジネス科の建物は
学生から金を取って金儲けの仕方を教えるという
最短経路に特化した殺風景な場所だったので
そこら中に彫刻が転がっていたり
オーケストラの練習が聞こえたり
テレビン油の匂いがしたりする今のオフィス周辺は楽しい。
学問とか学者とかはこういう怪しい環境にサルマタケの如く栄えるのである。
先日階段ですれ違った青少年は
三段飛ばしで駆け下りながら「オペラ座の怪人」を熱唱しておった。
ビジネス科周辺では絶対に見かけないタイプである。
青春じゃのー


5/26/2006

「来て〜来て〜来て〜来て〜、サンタモーニカー♪」昔々、エアコンの宣伝か何かで流れていた歌を不意に思い出した。いま思うと、なにやらエロい歌じゃのう。こういうのを下手くそなアイドルに歌わせて興奮する伝統なんてのも、確かにあったのう。





谷崎潤一郎が好きな某教授について、もう少し書こうと思う。彼の名誉のために付け加えれば庄野潤三とか志賀直哉とかそのへんの渋い作家も好きらしい。私に会うたびに「あれはゲンジだっけ、ジェンジだっけ?」とローマ字の読み方を訊くのがちょっと心配だが源氏物語とか古今和歌集あたりも好きだ。いつぞや彼の授業で英訳ジェンジ物語を読んだ男子学生に「いい年こいた光源氏が若紫に手を出すのはけしからん、日本ではどうしてそんなことが許されるのか」と訊かれたことがある。そういうのは授業中に教授に訊けよと思うのだが自由な議論を推奨するアメリカの大学といえども教授というのはやはり偉いものなので、こういうのは偉くないし彼の成績をつけるわけでもない私に訊けば、というか愚痴ればいいと青少年は思うようだ。そこで私は何時ものように「ああいう皇族が今の日本に居たらそれは逮捕すべきだと思うけれども光源氏なんだからしょうがないではないか、だいたい今のアメリカの道徳規準に抵触する作品や登場人物を全部否定していったら読める本は歯医者の待合室に置いてあるような雑誌だけになるぞ、そんなんで君は幸せなのか」と言うのだけれども、よく考えたらアメリカ人の大半は、いや世界の人々の大半は歯医者の待合室の雑誌だけでも十分満足しているような気がするし、そもそもポテト州というところは一つの巨大な歯医者の待合室のようなもので、いつか寿命が来て「○○さ〜ん」と呼ばれて診察室に消える順番をみんなで何十年も坐って待っているだけなのではないか、などとウソ寒い画が見えてきて憂鬱になった。だから教授、ここは一発教授パワーで学生をガーッと洗脳っすよ!そう思って自転車置き場から研究室の窓を見上げると、壁にかかった巨大なヘラジカの首の下で昼飯代わりのバナナをポクポク食べながら教授は私に手を振っている。なんでもあの鹿の頭は前任者の教授が引退するときに「君、記念にぜひ受け取ってくれたまえ」と置いて行った迷惑な置き土産らしい。自宅に置けないものを研究室に置いている教授は多い。この教授も自転車を十四台所有するという密かな狂気の人だが「何台かワイフに捨てさせられたんだ」とバナナの皮を片付けながら淡々と呟いた。教授といえども前任者とか奥さんとかには弱いようだ。例によって例のごとく一向に進まない私の論文について話し合ったあと、今日は午後から歯医者に行くのだと彼は憂鬱そうに言った。やはり世の中は歯医者で出来ているのだと思う。


1/31/2006

高くてまずい食い物に腹が立つのは当然だが、安くてまずいものを注文してしまったときの情けなさにも何とも言えない味わいがある…最早この世にいない中島らも師匠がどこかでそんなことを書いていた。そんな気分を噛みしめるために態々まずいものを食べにいきたいとは思わないけれども良く考えたら私は「しみじみと不快になるほどつまらない冗談」の類いが妙に好きで何時迄も覚えていたりする。ただ、そんなものを一人で沢山抱えて老いていくのも嫌なので、ここに書いて他人を巻き込んでやろうと思う。だから逃げるなら今のうちである。なぜか大昔の話ばかりだ。

小学校の図書館には戦前から昭和三十年代までの古くて汚い本が多かった。表紙が一度ぼろぼろになって、丈夫だけが取り柄の臙脂色の代用表紙にすげ替えられた上、背の部分に補強を兼ねて貼付けられた黄土色の布テープの上に題名がマジックで書き直してあり、さらにそれが手垢でぼやけていた。あるとき「子供のための落語入門」みたいな本を借りたら、古典落語や落語家についていろいろと蘊蓄を傾けた最後に、同じ著者によると思われる創作落語が入っていた。そしてこれが全く面白くない。概して評論家に実作をやらせると「この人は本当に○○が分かっているのだろうか」と心配になるほどカラキシなものだが、それにしてもひどかった。時代はおそらく『エレキの若大将』と同じ頃(してみると、あれは古いというより「古くさい」本だったのだな)。流行の熱に浮かされた町内の少年たちが、楽器とメンバーを無理矢理かき集め、町内会の催しで初めてコンサートをするまでの話である。バンドの名前はベンチャーズにあやかって「ベンチャラーズ」だ。思うに、当節の子供に読ませるからといって、いい大人が腰を屈めるようにして良く知らない題材を扱うと大概ひどいことになる。うまくすれば『スクール・オブ・ロック』(あれは流行りモンに媚びずに徹底して好きなものの話しかしてないのが勝因の一つか)の如く盛り上がるはずの物語は従ってさっぱり盛り上がらず、最後のオチはこんな感じだ。ベンチャラーズの演奏で町内の人々が踊っているところに三河屋の丁稚が通りかかる。「三河屋さん、エレキは好きだろ?踊っていきなよ。」「はい、エレキは好きです。でもおべんちゃらは嫌いです。だからおベンチャラーズと一緒には踊れません。」

しょうもない駄洒落で脱力させてストンと落とす古典落語は沢山あるけれども、あれはそれまでに面白いことを散々やって勢いがついているから決まるのであって、最初から最後まで盛り上がらないゾンビの寝言のような話の最後にこんなブザマな洒落を言われても腹が立つだけである。これについてはもう何も言うことを思いつかないので次行きましょう、次。

たしか自習の時間にやらされた国語のプリントか何かに出てきた例文である。子供の作文という形になっているが、明らかに大人が書いたものだった。小学生の「僕」はスポーツかなにかの途中に怪我をする。病院に行ったら腕の骨にひびが入っているということで、大袈裟な吊包帯をすることになった。最初のうちは心配していた家族も、数日経って大したことがないと分かると彼に今まで通り家事の手伝いをさせようとする。しかし少年は片腕が動かせないことを理由にのらくら逃げることを覚える。ある日それを見ていた父親が、紙に何か書いて少年に見せた。曰く、「ひびこれ口実」。

このあと「『日々是好日』という成句を見事にもじっている…」という自己解説が駄目押しのように入っていて、ますます憂鬱な気分になる。こんな下痢まじりの屁のような文章に傍線を引っ張って「ここでの作者の気持ちは?」などと問題を作ったりそんな問題を解かされたりそれを採点したりするために人はこの地上に生まれ生きそして死ぬのであらうか嗚呼。思へば窓から見る校庭はいつも雨で鬱鬱鬱鬱…

私は憂鬱になるためにこんなものを書いているのだろうか。そもそもなぜこんなクズみたいな記憶を大事に抱えているのだろうか。謎が謎を呼んで、よくわから ないままに次に進むのである。

これもたしか国語の教材のニセ作文だった。柔道の山下泰裕が足を負傷しながらオリンピックで優勝するテレビ中継を茶の間で見ていた家族の話。いいかげんにスポーツの話題から離れてほしいもんだが愛媛県の公立学校というのは概して『頑丈人間スパルタカス』に登場するアナボリック・アカデミーさながら、運動部に所属しない生徒には人権を認めない場所なので、たとえ国語の授業中だろうがスポォツ及びスポォツマンの素晴らしさを強調してやまないのである。表彰台に立つ山下選手を見て何やら感動してしまった父親が「あれこそが本当の王者だな」と言うと、「おおじゃってなに?」と幼い妹が聞く。わははーと家族で笑って、おしまい。やたら結論を言って話をまとめたがる父親といい、「子供をネタにみんなで笑ってストップモーション」な終わり方といい、なにやら70年代テレビドラマの定型が臭う。こんなオッサンくさい作文を素で書ける少年がもしいたら、絶対なんか嫌な背後霊が憑いているので除霊してもらった方がよい。文体はともかく内容のレベルからしてこれは小学校時分の記憶だと思っていたのだが、今回調べてみたらこのオリンピックは84年のロサンゼルスなので私は中学生になっている。中学生ってのも、気の毒な職業だねえ …

さて、あなたのハートには、何が残りましたか?ひひひ

1/2/2006

七年ぶりに降り立った京成線青砥駅は随分複雑になっていた。乗降客に麺類を食わせる店だけで三軒もある。「駅で食う高級な饂飩や蕎麦」という複雑な概念が私は今ひとつ理解できないのだが今日は特別な日でもあるので一番安い店の「天せいろ」を奮発することにした。拡張を重ねた建物に無理矢理店が入っているのだから踊り場には三軒分のショーケースが並んでいるだけで、店のあるところまで長いエスカレーターを昇らねばならない。ようやく店に入ったら食券を買ってきてくださいと言われた。しまった、券売機はショーケースのところにあったらしい。

SF映画のように金属で封じられた長いエスカレーターをまた降りる。私のすぐ前のステップに立っているのはどう見ても堅気ではない派手な晴れ着を着た中年の夫婦だ。青々と剃り上げた男の凸凹の後頭部には赤く腫れ上がった剃刀傷が二つもあって、私は剃刀を握っていた床屋だか若い衆だかの運命を思って一人ニヤニヤした。踊り場に戻るとどうしたことかショーケースの配置が変わっていて目指す店のケースが見当たらない。それとも私は踊り場の場所を間違えているのだろうか。せっかく800円の天せいろを食おうとしているのに前途は遠い。それでも意地になって駅の中を何度かぐるぐる回ったところで気がついた。これは夢だ。夢の蛇の迂路ボロスのぐるぐるだ。

目を開けるといつもの部屋の天井に明々と日が射している朝、いや昼近くだった。脇腹に重くて暖かいものを感じて手を伸ばすと、猫の体に触れた。柔らかく寝息する毛皮に触れたまま、しばらくぼんやりしていた。そんな元旦。

長いエスカレーターというと思い出すのが営団新御茶ノ水駅である。むかし紀伊国屋で本を買ってあのエスカレーターを降りていたら反対側を盲導犬のシェパードを連れた女性が上がってきた。おや盲導犬だと思っていると犬もこちらに気がついて鼻を向けた。それだけならともかく、すれ違ってからも犬が乗り出すように首をよじまげてこちらを見ていたのはどうしたことであろうか。いまだに理由が分からない。どうせ振り向いてくれるなら目の不自由な女性のほうが不思議で面白い話になるけれども、ま、私だからね。

ここしばらく Google Earthを転がしては遊んでいる。市川船橋界隈は既に家が一軒一軒区別できる解像度で、空からあの路地この路地を辿るのが懐かしくて仕方がない。昔のバイト先の雑居ビルも西船ゲロバケツ寮も裏の中学校も八幡の茶柱荘もそのまま残ってるし。そこからマウスホイールを使って一気にズームアウトすると、首都圏のいろんな地名が現れては消えて「地上とは思い出ならずや」な気分を味わえる。どうも人口密集地を優先してカバーしているようで、残念ながら四国や今住んでいるポテト州ポテト市はまだ写真が粗く、工場地帯や大学のように巨大な人工物が辛うじて判別できるレベルである。それでも地形の高低はきちんと再現されていて、うまく位置と角度を合わせてやると、いつも散歩に行く裏山から見る山並みが、そっくり画面に現れるのだった。文明開化じゃのう。



左が中学校、右の白い建物の一つがゲロバケツ寮。一番上の小さな青い正方形は中学校のプールで、夏休みの夜中に潜り込んで泳ごうとフェンスを乗り越える時に怪我をして親が駆けつける大騒ぎになったアホな寮生がいた。寮のすぐ隣の階段状の建物はどこかの会社の独身寮で、三階の風呂場の窓が開けっ放しで男の裸が始終よく見えて嬉しくなかった。



画面左を縦に流れているのがJR総武線と地下鉄東西線、赤いのが西船橋駅、右奥のでかいのは中山競馬場。これがあるおかげで週末の駅前は親爺ギンギンであった。他にも京成の駅とかよく菓子パンを買ったパン屋とかいかりや長介のような主人のいる中華料理屋とか高校生カップルが充満してどうしようもない丘の上の図書館とかある朝まるで鏡花の小説のごとく塀の穴から蛇が這い込むのを見た庭木の濃い家とか品揃えも主人も怪しい古本屋とか隣の中華料理屋から毎日昼食を供給されるので理髪師が全員ギョーザ臭くて仕方のない床屋「智恵子症」などが写っているはずなので心眼で見てくれ。


そしてここには私の18歳から28歳までのすべてが写っていて浣腸でもされてるように恥ずかしいのであった。おおっ船橋よ市川よ大宮よ大東京よ、もうどうにでもしてくれセニョール

しかしそれもすべて遠き日の想ひ出はメモワールオブゲイシャ太巻ニンジャサムラーイ。


さらば地球よ旅立つ船は…

で、気がついたらここに落ちてたんです私。
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