連作・あたしの日曜日
 

其の壱:「食えっ!」
 わが町外れ、砂利トラック爆走の産業道路沿いにそびえ立つ巨大ホームセンター兼ディスカウントショップ「サンオー」は私の生活に欠かせない場所だ。なにごともなく暮れてゆく休日の燈ともし頃、買い物かご片手にコタツねこ然として店内をフラつくのが私の実用を兼ねた娯楽なのである。店長はB級パワーみなぎるイワトビペンギン的風貌の四十男。いつも広大なフロアを駆け巡っては肩に吊るした電気メガフォンでバイト中心の店員に指示を飛ばし、暇さえあれば客を相手にバーゲン品のアナウンス、これがまたアゴの外れそうな脱力系オヤジギャグ満載で、店を訪れた人々は等しく脳が溶けていくダウナーな快楽を味わうのだった。

 そんな店内の雰囲気も素晴らしいが、なんといってもここの魅力は死と危険の匂いに満ちたディスカウントっぷりである。市場で大量に売れ残った商品や、倒産企業からハゲタカのごとく買い叩いたとおぼしき品々が、しばしばワゴンで平積みになって我々のハートを直撃するのだ。先々週あたりには、某ハリウッド映画との70年代式安直タイアップ企画が明らかに失敗した黒色カップ麺が一個五十円で売られていた。店長自筆のポップが、また泣ける。「四人家族で一食200円、一日三食600円!」個人的には、某「生きろ」アニメの数十倍心に響く言葉であった。

 

其の弐:「むっちり亭」
 

 よく「サンオー」の帰りに立ち寄る一軒の中華定食屋を、私は勝手にそう呼んでいる。JRの駅からは歩いて15分以上かかるだろうか、安手の一戸建てと独身寮が互いに無関心に混じり建つ、なにやら痴漢でも出そうな、うら寂しい界隈。うすぐらい街路灯の下に小さな赤提灯を掲げたその店を営む中年夫妻には子供がおらず、また客にことさら話し掛けるでもない彼らの静けさが私には心地よい。「むっちり」の由来は常連たちの風体である。すなわち、いつ来ても客は「むっちりと色白の顔に当たり障りのないフチ無しの眼鏡をかけ、これまた当たり障りのない薄手の青いジーンズと無難なスニーカー、主張のないチェックのシャツに曖昧な幼児的体形を包みながらも腕の毛とヒゲのそり跡だけは不必要に濃く、釣り合いをとるように薄くなり始めた頭頂部を気にしつつ新聞や週刊誌めくりながら大して旨くもなさそうにレバニラ定食なぞ食っている、そこはかとなく不潔感ただよう三十歳前後のアカラサマな独身男」ばかりであり、日曜の夜八時を過ぎたりすると、その傾向はますます顕著なのであった。ほとんど毎週のようにその場面に立ちあっている私に、あまり偉そうなことを言う資格はもちろんない。とはいえ、やはりトイレットペーパーを読みながらウワノソラで食事するのは汚くてわびしくて悲しいと思うんだよアタシは。昨日の夜行ってみたら、やはり「むっちり君」が二人、互いから極力離れた席で、誰とも目が合わない角度に座って、むっちりむっつりと食事をしたためておられる。先に食べ終えた「むっちり一号」氏は馴染みの客と見えて、代金を払いながら「やっぱり休みの日に働くと疲れるよぉ」などと少々嬉しそうな声で店主夫妻にこぼして出ていった。でしょうねえ、と笑顔で見送った店主夫人はしかし、しばらく経ってから「あんなこと言って、サラリーマンは気楽なモンよね」と、もっともな不満を旦那にこぼしている。いつも無口な旦那、このときもハッキリとは答えなかったが、あるいは客に遠慮していたのかもしれない。私は何に見えてるんだろ、とハムエッグと野菜つつきながら私はぼんやり考える。カウンターの反対の端、一番奥の席で定食を平らげたあと漫然と週刊誌を眺めている「むっちり二号」氏も同じことを考えていたのやら、いなかったのやら。