小岩
 

其の一


大学の一年から四年の夏まで、総武線小岩駅の近くで家庭教師をやっていた。生 徒は善良ではあるがひどく無気力な遠縁の男の子で、なんとか都立高校には入ったものの、結局最後まで三平方の定理を憶えてくれなかった。夕方から働いて晩 飯を食い、猫と家族に見送られて「ではまた来週」と家を出るのは10時半。食事はいつもうまかったし、親戚ということで家族もえらく親切だったけれど、肝 心の成績が上がらないでは申し訳が立たないし、とにかくやる気のない男の子を相手に毎週毎週同じことを繰り返すのは苦痛で(彼も苦痛だったに違いない)、 帰り道はいつもエネルギーをごっそり捨ててきたような気分だった。当時西船橋でやたら体育会系かつ地元系の寮(例のゲロバケツ)に住んでいて、帰っても居場所がなかった私は、夜半過ぎまでやっている小岩駅前の古本屋でよく暇を潰した。いつも店番をしていたのは、パーマを当てた黒っぽい金髪をヘアバンドで束ねている陰気な兄ちゃんだったが、世の中にだいぶ不満があるらしくて、よく投げつけるように釣り銭をよこした。テメーの不機嫌に他人を巻き込むなバカヤロ、とは思ったが、そこ以外に安く暇を潰す場所を知らなかったし、彼にしても他にいい稼ぎ口がなかったのだろう。毎週金曜日、がらんとした夜更けの店内で 判で押したように私たちは顔を合わせ、白っぽい蛍光灯の明かりの下で互いにガリガリと負のオーラをぶつけあうのだった。 一度だけ、店の外で彼を見たことがある。用があって日曜の昼間に小岩で電車を 降りたら、眠り込んだ三歳ほどの女の子を重そうに抱えた彼が、髪の長い女を連れて駅の階段を上がってきた。綺麗と言えなくもない女だったが、今やすさまじ い仏頂面が全てを台無しにしている。彼の不機嫌については何となくそれで分かったような気がしたが、残念ながら彼に同情できるほど当時の私は大人ではなかった…困ったことに、たぶん、今でも。 其の二

ゆらりゆらり。したたかに酔った職人風の男たち三人、月の光の影長く、肩組んで歌いながら歩いてくる。線路沿いの道、まだ十一時前だというのに人通りもなく… 世の中には蛍光灯の光が身体に悪いと主張する一派がいて、潜在的には私もその一人なのかもしれない。夜、蛍光灯に明るく照らされた場所からは逃げ出して、裸電球がひっそりと灯る黒ずんだ低い家並を好む傾向があるからだ。三年目の秋、とう とう金髪男と勝負するのが嫌になった私は、生活の中心を総武線から京成線に切り替えた。東京から千葉へ、ほぼ並行して同じような場所を走っていながら、昭 和のどこかで都市が増殖する道筋から外れてしまったらしい京成線の世界は、けだるく物悲しく、どこかいとおしい。生まれてから十八歳までのほとんどを過ご した場所が、ゆっくりと衰えてゆく西日本の小さな廃坑の町で、転校して出てゆく友達を見送ってばかりいた、という過去の事情も、私のひねくれた嗜好に影を落としているようだ。帰り道、バイト先から今までと反対の方向へ歩くと、小岩はまるで違う表情を見せた。寝静まった家々。恐竜の死骸のような、さびれた町工場。壁際に、うっそりと立って瞑想している自動販売機。闇を怖れるように寄り添って銭湯から帰ってくる、「神田川」みたいな若い二人。入り組んだ暗い迷 路を抜けて、がらんとした京成小岩駅にたどり着いたのは、私自身いい加減怖くなってきたころだった。しかし問題はその後である。この時間帯になると、電車がまるで来ないのだ。 はるか遠方から歌いながら歩いてきた三人の酔っ払いは、他にすることもなくホームか ら線路越しにぼんやりと眺めている私の前をゆらゆらと通り過ぎ、遠くで少しだけ明るくなっている駅の入り口から線路をまたぐ階段をえっちらおっちら登って改札を抜け、長い通路をくぐってやっとこさホームに降りてくると隣のベンチにどさりと腰を下ろした。彼らが遠い道のりを歩いてくる間、しかし寝静まった昭 和四十年代さながらの駅前商店街には何の物音もしないのだった。 夜は更けてゆく。 電車はまだ来ない。