柴又

〜かなり情けない話〜

 六年前の春、友人がカタギの勤め人になって大阪へ行くことになったので別れの宴をもつことにした。しかし考えてみれば私たちは二人とも酒より甘いもののほうが好きな駄目男である。行くべきところは柴又しかない、と私は思ったのだった。あそこには東京いちナイスな団子がある。

 金町のさらに先、ということになれば、もはや立派な秘境である。たとえ真っ昼間であっても、電車の本数の少なさは夜更けの小岩駅の比ではない。行くにも帰るにも、それなりの覚悟が要る。不退転の決意をもって私たちは柴又に降り立った。ずらりと並んだ縁日を冷やかしながら、柴又帝釈天に向かってふらふら歩く。平日でも参道は賑やかである。弥生もすでに半ば、天地は実に春で、この種の縁日に特有の抹香くさい匂いと、店ごとに敷き並べられた緋毛氈の色が陽炎に混じりあい、ぐるぐると悩ましく何やら乱歩的狂気の気配さえするのだった。

 のーみそを揮発させながら人込みを縫って歩いていくと、団子屋の立ち並ぶ界隈が現れた。観光地の「ご休憩所」によくある、古めかしい木の看板の下に縁台を並べた、お馴染みの造りである。私たちはひんやり薄暗い奥のテーブルに座って一休みすることにした。日陰に入ると、空気は三月に相応の初々しい冷たさになったが、やっぱり抹香臭い匂いがする。木の椅子とテーブルの、冷たい感触。埃っぽい表の通りでは、相変わらず人々が光の中をぞろぞろと通りすぎてゆく。廂の下の、ぎりぎりで陰になる位置に盆を抱えた婆様が一人控えて、人の流れを見るともなく見送っている。婆様は何十年ああして過ごしたのだろう。

 ふと壁を見ると、歴代寅さん映画の撮影隊と店の人たちとの集合記念写真が、第一作から最新作まで、きちんと並んで張りつけてあった。どうやらいつもこの店でロケをやっているらしい。上の方を見ては「うをー寅さん若い!」と叫び、下の方の最新作を見ては「ゴクミもすっかり寅さん女優か…」と妙に感動し、10分ほども時間を潰したところで、私たちは何か大切なものが足りないことに気が付いた。

 「…だんご…」

 あろうことか、我々二人も、店番の婆さんも、肝心のことをすっかり失念していたのだ。すいませーん、と声を掛けると「あーそうそう忘れてた」と頭を掻き掻き水を持ってきた婆様は、しかしやっぱりプロであった。親指一本でラムネの栓を開けて見せる彼女のパフォーマンスに私たちは熱狂し、ぺちぱちと拍手を送った。わらび餅、草団子、甘酒、すべてまことに結構でした。

 全部食べるとさすがに甘すぎたが、平素の鍛え方が違う私たちは、そのぐらいではひるまないのだった。(彼は「背広でパフェ事件」のメンバーの一人である。)衛生博覧会めいた漢方薬の店だの、親父と店と商品のコーディネイトが完璧な煎餅屋だのをのぞきながら更に歩いていくと、帝釈天はすぐそこだった。

 しかし実のところ、神仏にお願いしたいことなど私たちにはあんまり無い。ましてや男の二人連れ。肩を並べて祈願などした日には、世間様のあらぬ疑いを招くことになろう。李下に冠を正さず、かといってすることもなく、線香の匂いを嗅ぎながらヌボーッと立っていると、背後から「すみませんシャッターお願いできます?」と声を掛けられた。

 自慢ではないが、私はこの方面には並々ならぬ自信がある…とは言っても写真術のことではない。「観光地で見知らぬに人にカメラを頼まれる能力」のほうである。なにせそういう場所で一人、あるいは友人と二人でぼんやりしていることが非常に多い。Noと言えない顔をしている。(実際言えない。)ウドの大木、とは言わないまでも、かなり不必要に身体が大きい。この無駄な生物をなんとか有効利用してやろう、それが地球を救う道だ…と世間の人は思うのかもしれない。とにかく、よく頼まれるのだ。

 もちろん頼まれること自体に問題はない。どうせ暇である。しかし「撮りますよー」と言った瞬間、なにかになりきったかのごとく、表情造りつつ殊更「ぴとっ!」と寄り添うカップルをファインダー越しに眺めるのは…それも一日に何組も…まあ、ものすごく楽しいというわけでもないのである。

 またかい、と振り向くと、意外にもそこに立っていたのは落ち着いた中年の女性と、ずいぶん質素ななりをした、黒い眼の印象的な女の子だった。どうやら大学に合格して上京した娘と母親が、手続きや下宿探しも一段落して、今日は一日のんびりと型通りの東京観光、というところらしかった。

 友人に言わせると、撮り終えたカメラを返して二人を見送る私はこの上なく幸福な表情をしていたそうだ。こういう小さな物事に幸福を見いだす才能こそが「善く生きる」為の条件なのだ、と私は彼に言ったが、むろん真っ赤なウソである。この程度のシアワセにすら慣れていない私、もしくはそんな幸福のカケラにしがみつかなければ生きていけない私、というのがこの場合の適正な表現であろう。いずれにせよ彼にはそんなことはお見通しだっただろうけれど。

 

 どうせなら、ということで私たちはかの有名な「矢切の渡し」まで足を伸ばすことにした。風に吹かれながら江戸川の堤の上の道をどこまでも歩いていくと、それらしく人々が並んでいる場所に着いた。東京周辺にお住まいの方は、いちど見に行かれるとよろしかろう。あれは、なかなかにシュールな渡し場である。川幅は大したことがない。しかし船頭は、例の歌に描かれた時代からずっと働いているのではないかと思うぐらいの、今にも川に落っこちそうな枯れ果てた爺さんだ。当然ながら、十人以上乗れる木の渡し舟を一日中往復させる体力なんて彼にはない。必然的に、小舟には異様に頼もしいYAMAHAの船外モーターが取り付けられ、その気になれば三十秒で向こう岸だが、それでは金を払って雰囲気を味わいに来た客が納得しない。双方の意見を尊重したうえで次のような解決が行われていた。すなわち、渡し舟の発着場は上流と下流にずいぶん離れて作られており、舟はエンジンの出力を限界まで絞って、客が程々に長く楽しめるように、ゆるゆると斜めに川を渡っていくのだ。ただ客の側としても、30秒で向こう岸に着いてしまったらさすがに怒るだろうが、無理して五分かけたからといって舟の上で別段することはないわけで、その手持ち無沙汰を解消するため招聘されたのか、カモメの一群が舟のすぐ上を飛び回ってはギャーギャーと餌をねだり、乗客達はめいめいに隠し持っていた食料を彼らに投げてやるのだった。

 平日の昼間だというのに、行列は結構長かった。世間には酔狂なやつが多いもんだ、と、まったく人のことを言えない私たち二人が太平楽なことどもを話しつつ眺めていると、酔狂な積み荷を載せた舟とカモメたちはぎゃあぎゃあゆるゆると向こう岸へ漂っていき、かと思うとゆるゆるぎゃあぎゃあとまた戻ってくるのだった。

 すぐ後ろには、やはり大学生ぐらいの若いカップルが並んでいた。私たちの馬鹿話がふと途切れた合間に、聞くともなく彼らの会話を聞いていると、バイト先の煙草の煙が苦手で、みたいなことをひとしきり話した娘は、ふと気が付いたように「でもヒロくんの煙草の匂いは好き!」などと、赤の他人が赤面してしまうようなことを言うのであった。私と友人はチラと目を合わせ…やはり二人とも、かなり羨ましかったのだ。そう、愛とはまさしく、二人で手を取りあって何かを越えてゆくことなのであろう。お互いの嗜好のギャップとか、江戸川とか…

 

 友人とはその後、東京に出てきたとき二、三回会ったが、最近は音信不通である。電力関係の仕事なので震災の後はえらく大変だったらしいが…ま、便りのないのは良い便りってやつかね。

 

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